終バスに・・・

終バスにふたりは眠る紫の<降りますランプ>に取り囲まれて  穂村弘


菫は夜の外出が苦手で、しかもバスに乗る機会も多い方ではない。じつは終バスには乗った経験がない。だからこの歌にドキッとした。菫の知らない世界がそこにある。


終バスにも終電にも乗ったことはないが、終電の2、3本前の電車には乗ったことがある。中学のクラス会の帰りである。その日のうちに帰りますと家族には伝えてあったのだが、おしゃべりに夢中になってつい帰りが遅くなりヒヤヒヤした。ところがその電車は思いのほか混んでいて、えっ、まだこんなに人が外にいたのかとびっくりした記憶がある。都会の終電は、まるでラッシュアワーのような満員電車になるのだそうだ。しかしここは終バス。


終バスは都会なら夜11時台だろうか。地方都市ならもう少し早いと思う。終バスという言葉が成立する以上、一日の運行本数が一時間に2~3本は最低欲しい。その程度の街のスケール。新宿や渋谷のように一晩中明るい街ではない。終バスに乗る人たちはどんな人たちだろう。家族と一緒に住んでいる女子学生ならば、遅くなった飲み会の帰りなら お父様が車で最寄り駅までお迎えに来るだろう。社会人のカップルならばタクシーを使うと思う。


終バスの発着は駅から駅?いや、そうとは限らない?もし最終バス停までうっかり眠ったまま降りるつもりのバス停を乗り過ごしてしまったらどうなるのだろう。このあたりからわからなくなってしまう。読み手の想像力に委ねられる。高校生の国語の教材としてはハイレベルでしょう。


ここからは菫の読み方。先生からの課題ではないし、穂村弘と折角同じ時代を生きているのだから、この有名な歌が古典になる前に自由に楽しませていただこうと思う。勝手な読みをどうぞお許しください。


このバスは駅から住宅街に向かって走る路線バス。終バスなので、折り返し運転はしない。終点に到着した後は、乗客を降ろしてバスターミナルか車庫に向かうはずだ。都心の終電が驚くほど満員電車になるのとは違い、この終バスにはそんなに大勢の乗客が乗っているとは思わない。一人降り、また一人降り、バスの車内にはもう数人しか乗客はいない。途中で乗車してくる人もいない。そんな終バスの後部座席にふたりは眠っている。季節は冬。


その二人はどんな二人?おそらく恋人同士。年齢は20代だろうか。夢と現実の狭間で迷い悩む年頃。そのがらんとした車内の後部座席に 二人は互いに寄りかかって眠っている。お互いの疲れをもたれ合うことで感じながら、どうにかその一日を終わらせようとしている。まだ将来の約束には至っていない。でも今は一緒にいることでお互いの心を癒し安らぎを得ている。「終バス」という言葉の響きは柔らかい。二人を優しく包み込む空間。こんな感じの「終バスにふたりは眠る」。


ここからが後半。「紫の<降りますランプ>に取り囲まれて」。

都バスでは「降車ボタン」と呼ぶ。紫の部分の下にオレンジのボタンがあって「お降りの方はこのボタンを押してください」と書いてある。それが黄色い枠で囲まれている。ボタンを押すと「次、止まります。」というアナウンスがあり、紫の部分に「とまります」という赤い文字が光る。その降車ボタンを 「紫の<降りますランプ>」と呼んでいるのだ。


紫という言葉は恋を連想させる。万葉集や古今集の時代から、紫は恋の色だ。その紫に現れるくっきりとした赤い文字。降車ボタンというのは固い響き。しかもそのボタンは押さなければ点かないのだから、「降りる」という意思を持った能動的な言葉のイメージだ。これが「降りますランプ」に変換された。ランプというのは薄暗くなったかと思うといつの間にか灯されているあかり。温かみがあるがどこか儚げである。風に揺らぎ、消えそうになる時もある。そんなランプに「取り囲まれて」いる二人。乗客がほとんどいないので、後部座席に座っている二人にとってはバスの車内全体に点々と灯っているランプが二人を取り囲んでいるような感覚になる。「取り囲まれて」という表現は受動的。二人は囲まれていて今のままそこにいるしかない。二人の恋の先はまだ不確かだ。あやふやなまま身動きがとれない。将来も見えていない。不安と安らぎが入り混じっている。バスが終点に近づくにつれて、外には明るい看板やネオンがだんだん少なくなっていく。暗闇を走る自転車やバイクや車もまばらになっていく。歩いている人は殆どいない。そんな終バスのなかで眠っている二人はどこで目を覚ますのだろう。目を覚ました二人はどこで降りたらいいのだろう。このまま二人を乗せて終バスはどこに向かっていくのだろう。そして終点にはどんな出来事が二人を待っているのだろう。何もかも曖昧。先はまだ見えていない。そんな二人に構うことなくバスは夜の闇を進んでいく。そして問いかける。「紫の<降りますランプ>」を点けたのは誰?


終バスにふたりは眠る紫の<降りますランプ>に取り囲まれて


しゅうばすに ふた「リ」はね「ム」「ル」 

「ム」「ラ」さきの お「リ」「マ」す「ラ」んぷに と「リ」かこ「マ」「レ」て


二区切れの前と後が「ムル」と「ムラ」でつながれて、心地よい響きとなっている。

ラ行を抜き出してみると「リ」「ル」「ラ」「リ」「ラ」「リ」「レ」

マ行を抜き出してみると「ム」「ム」「マ」「マ」

この歌にはラ行とマ行の音がうまく配置されていてリズムを作っている。。

菫にとって ラ行は瑠璃色のイメージの音だ。瑠璃色の深い青はどこまでも続く広い夜空を連想させる。そして紫の延長にある色だ。マ行は紫のムを含んでいる。


この先二人はどうなるのだろう。どこまでも続く暗闇。二人の将来はその暗闇の先にある。しかしその夜の終バスの中の空間は今の二人にとって居心地のいいシェルターなのだ。二人を取り囲んでいる紫のランプは優しい光を灯しながら二人を包み込んでいる。誰も二人に「降りろ」とは言わない。眠っている二人を邪魔しない。外は瑠璃色の世界。漆黒の闇ではない。そして雨は降っていない。二人には見えていなくても、終バスの走る街の空には冬の星座が瞬いている。


終バスにふたりは眠る紫の<降りますランプ>に取り囲まれて


菫はカーテンの隙間から窓ガラス越しにそっと夜を確かめた。

紫色の余韻はまだ続いている。

森の季節、風の色

なにごとのおはしますかは知らねどもかたじけなさに涙こぼるる