薔薇
ひさは花が好きだった。花に憧れ、花に魅せられて、いつも花の気持ちを想いやった。
道端に咲く花に語りかける。私は花になれるでしょうか。どんなに悲しくても花は咲く。どんなにつらくても花はそこから逃げることはできない。そして雨に打たれる。つらいのは雨も同じ。雨は花をよけることはできない。どんなにその花が美しく優しく咲いていても。ただ雨は降る。雨は自分をどうすることもできない。ただ花に降り注ぐだけ。花の命のために。それが花と雨の気持ち。忍耐と優しさ。そしていたわり。
菫には国語の先生がいて、今でも時々指導を受けている。先生の指導を受け始めてもうすぐ50年になるが、まだ文学研究が中心で、創作活動には至っていない。以前、そろそろ小説を書いてみたいと菫は先生に相談したことがあった。先生は柔らかく、しかし ぴしゃりとおっしゃった。君のお母さんは あらゆる分野で芸術的な才能とひらめきをお持ちだったが、君にはそれがない。今からどんなにがんばっても君は賞を狙える小説家になるのは難しいだろう。君は創作よりも研究に向いている。研究者を目指せばどうにか生きているうちに まとまったものが残せるかもしれない。そのためにも これからもまだまだ研究が必要だ。先生はそうおっしゃって、入試問題のつもりでやるように、卒論レベルではなく、とオリジナルの問題を作ってくださる。最近は短歌がテーマになっている。
先生:今回の課題は単純だ。「60歳からの楽しい短歌入門」の18ページに「くれなゐの・・」の解説が6行ありますが、この中に誤りがあります。それを指摘して正しくはどういうことかも合わせて答えなさい。
菫の回答:
「春雨に濡れる赤い薔薇が鮮やかに目に見えてくるようです。」という箇所が、違うのではないかと思います。赤い薔薇の花は まだ咲いていないのですから。もう少しきちんとした解答をまとめます。
春になると 薔薇は芽吹いてぐんぐん枝を伸ばしていきます。緑色や茶緑色がかった古いしっかりとした枝とは違って、春に芽吹いて蕾に育っていく新芽や、新しく生まれた葉や、まっすぐに伸びた細い枝は、まだ赤み(くれなゐ) を帯びています。そのしなやかに伸びた枝には小さく柔らかそうなトゲ(針)が生えていて、そのトゲを「針やはらかに」と表現しています。そして その「やはらかに」は すぐ後に続く春雨の細かく優しく降っている様子をも表しているのかようです。
つまりこの短歌が表現しているのは、「赤みを帯びた薔薇の新芽が60センチほど伸びている。その枝には柔らかいトゲが生えている。その庭に春雨が優しく降り注いでいる。薔薇にも降り注いでいる。」という情景です。「春雨に濡れる赤い薔薇が鮮やかに目に見えてくるよう」という説明文は違うと思います。
先生:今日読んだメールの短歌の「読み」の文章は、今までのきみの文章のなかで、もっとも私に理解しやすく、したがってもっとも優れた鑑賞文です。具体的で言葉づかいも的確で。わかりやすいということは、書き手がよく理解しているから自然とそうなる。ばらの生態を知らない人がこの短歌を読むと赤いばらの花が咲いているになってしまう。60㎝も芽がのびている・・がよくわからない。では ここで問題です。前にも言いましたが、この筆者はなぜこうした間違いを犯してしまったのでしょうか。
菫の回答:
おそらく筆者は 実際に薔薇を育てた経験がなく、薔薇と言えば お花屋さんに売っている開花し始めた花や 開花しきった赤い花をイメージしていたのでしょう。「くれなゐの」という言葉によって、赤い薔薇の花のイメージを強めたのだと思います。
先生:短歌に描かれたバラを正しく読み取れなかったのは、先入観に支配されたりよく読まなかったり、とにかく作品に真摯に向き合わなかった(そして何よりきみが言うようにバラについてよく知らなかったのに赤いバラと思い込んでしまった、芽が60㎝ものびるわけない、とか)からでしょう。もう私が言いたいことはわかったと思います。ものごとを正しく知ること・・これだけです。短歌だからあやふやな知識で作ったり読んだりしてもよいわけではないこと、いや、短歌はものの本質をこそ描くべきなんだということを知ってほしかった。人間の心理でさえそのまぎれもない実態を描く。内容について述べましたが、短歌は独特なリズムがあります。きみにどういうふうに提示すればわかりやすいか、少し考えてから出題しましょう。
菫は思う。観察力、想像力、そして表現力。大切なことは同じだ。文学も、七宝も。
そして先生のおっしゃるとおり。私はまだ本質にたどり着いていない。
子規が病床から眺めた庭の情景。喀血を繰り返しながら子規は何を想っていたのだろう。
歌人であり俳人であり研究者。享年34歳。
ここはお庭があるからいいわ。ひさもよく窓際の椅子に腰かけて黙ってじっと庭を見ていた。何を見ていたの?なにって・・お庭を見てたの。ほら、あそこに・・・。
くれなゐの 二尺伸びたる 薔薇の芽の 針やはらかに 春雨のふる 正岡子規
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