七宝という名の絵画
水彩画、油絵、版画、日本画、西洋画、風景画、肖像画、その他にも多種多様な種類の絵画があり、分類がある。七宝焼きで「絵を描く」ということもできるが、抽象画ではなく具象画をしかも写実的に描こうとすれば かきわりの技法を使って描くしかない。しかもそのほとんどは、不透明釉薬を絵の具として使っており、作品は油絵具やクレヨン、あるいはマジックペンで描いたような仕上がりのものになる。透明感のある水彩画のようなタッチを七宝焼きで写実的に表現するのはとても難しいことである。
ひさは この「額に入った絵」を人様にお見せすることはなかった。美術展や七宝展、個展に出品する作品は、「譲ってください」と言われてしまうと 自分ではお断りできないとわかっていたからである。もちろん「お譲りできません」とか「もう先約がございまして」と先方に伝えることはできる。しかしひさは「そんなにお気に入ってくださって、本当にありがとうございます」としか言えないのだ。そして後悔する。なぜ手放してしまったのかと。そんな経験から 本当に気に入っているもの、もう二度と同じものは作れないと感じているもの、そんな大切な宝物は いつからか ひさは自分だけのためにしまっておくようになった。
菫は ひさのペンダントを真似て 樹をモチーフにしたペンダントを「かきわり」でいくつか作った。「かきわり」の特徴を上手く生かしたそのデザインが菫は大好きで、自分なりにその出来上がりに大いに満足した。これをあの友人にプレゼントしようかと思うんだけど どうかしら、と ひさに声をかけると、ひさは何も答えずに立ち上がり 奥の部屋から平たい箱を持ってきた。その箱のなかには菫がまだ見たことのない額絵がしまってあったのだった。
ひさは何も言わなかった。良いとも悪いとも。
ただ黙ってその額絵を箱から出した。
菫はもう何も言えなかった。
時には無言が最強の言葉になる。
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