心の素描~蝉

これは、菫の父が書き留めた「今の私たち」というタイトルのノートの抜粋である。


81歳の私は、いくらか耳が遠くなっている。テレビの音声が番組によっては、はっきり聴き取れない。リモコンで28~9まで上げることが多くなった。77歳の家内は私よりもっと遠いが「耳の遠い人は長生き」と聞いているので、心配はしていない。

ただ困ったことに、家内が何か集中している時は、耳が遠くなっている度合いが強くなって、相当に大きな声で呼んでも返事がない。

今日の夕方も、5時ごろ「ポン」「ポン」「ポン」と何発か花火が上がった音がした。「千葉の花火は今夜か?」と大声で隣の居間の家内に聞くと「わからない」。

「今、花火が上がったのはその予告だろう」と重ねて聞くと、「花火など上がっていない」と言う。あの大きな音も耳に入らないのかと訝ったが、何時ものことなので、こちらも黙ってしまった。

そのうちに急に「あっ、カナカナ蝉!」と家内が嬉しそうに声を上げた。私も耳をそばだてたが聞こえない。「また鳴いた!」「あっ3回目」と喜んでいる。松林の方から聞こえると言うので、濡れ縁に出て松林の方向に注意を向けた。

確かにミンミン蝉はしきりに鳴いているが、あのカン高い「カナ カナ カナ」は聞こえない。もうここ2~3年は聴いたことはなかったような気もする。「聞こえない」と家内に告げても仕方ないと黙って居間に戻ると「あっ また聞こえた。10回目よ」と、子供のように興奮している。「家内の空耳だろう」と納得し、わたしも何年か前の「カナ カナ カナ」を懐かしく想いだして、少し幸せな気分になった。

家内は床に入ってからも「ああ 今日はいい日だった。カナカナ蝉も聴いたし・・・」と言いながら、すぐに寝入ってしまった。

余程 幸せな気分だったに違いない。

田舎の夢でも見ているのであろう。

                       記 2009、盛夏

森の季節、風の色

なにごとのおはしますかは知らねどもかたじけなさに涙こぼるる