憧れ

旅上            

            萩原朔太郎

ふらんすへ行きたしと思へども

ふらんすはあまりに遠し

せめては新しき背廣をきて

きままなる旅にいでてみん。

汽車が山道をゆくとき

みづいろの窓によりかかりて

われひとりうれしきことをおもはむ

五月の朝のしののめ

うら若草のもえいづる心まかせに。


「日本近代詩の父」と称される萩原朔太郎の『純情小曲集』(1925年8月)のなかに、ひさがいつからか口ずさむようになった「詩」がある。父清一郎が幼かったひさに何度も読み聞かせたもので、菫も幼い頃からひさに繰り返し繰り返し、まるで子守唄のように聞かされた。菫が大人になって 清一郎のある一首に触れたとき「会ったことのない祖父 清一郎」に初めて「会えた」気がした。清一郎が病床にありながら詠んだ歌で、この3か月後清一郎は43歳の若さで他界した。

朔太郎は若い頃 与謝野晶子の影響を受け短歌を詠んだ。1903年(明治36年)には与謝野鉄幹主宰の『明星』に短歌三首が掲載された。


八十のマチス七十のピカソ健在にて世界画壇の頂点に立つ   清一郎 

月刊誌「北潮」昭和26年7月号


森の季節、風の色

なにごとのおはしますかは知らねどもかたじけなさに涙こぼるる