翡翠

祖父 甚太郎、父 清一郎、母 菊枝の背を見て育ったひさにとって、教職という仕事に就くことはごく自然なことであった。ひさは嫁ぐまでの数年間、相馬御風と父の思い出の地である糸魚川で教員生活を過ごした。

菫は物心ついた頃から、なぜ母が先生と呼ばれる時があるのか不思議に思っていた。菫が初めて家族の元を離れて15歳と半年で高校の寮生活に入ったとき、母から鈍い銀色の鎖で繋がれた柿色のネックレスと 落ち着いた緑色の雫型のペンダントを渡された。どちらも大切そうに古い紙箱に収まっていた。「これはメノウ、これは翡翠。どちらもイトイガワでとれた石なの。あなたにあげるわ。」その時母は、糸魚川という特別な場所の話を聞かせてくれた。

糸魚川は山を背負い海に面した北陸の小さな町で、姫川という川が流れている。母が下宿生活をしていたころ、その姫川の河原に行けば、翡翠やメノウがそこら中にころがっていて、いくらでも拾って持ち帰ることができたという。町にはその加工工場があり、糸魚川翡翠として有名なのだそうだ。最近では「日本の国石」に選ばれている。

母はこの翡翠のペンダントを身に着けて、飛びきりのお洒落をして、「ねえや」と二人 夜汽車に揺られいくつものトンネルを抜けて、上野駅のホームに降り立った。そこで出迎えに来た将来の夫に会ったのだ。「まるでローマの休日のグレゴリー・ペックが目の前に現れたようだった」と、初めて目にした父の印象を菫は母から聞かされた。田舎の小さな町の教員の目には、都会で働く男性は皆グレゴリー・ペックのように映ったのだろう。

故郷を離れ、糸魚川を離れ、新しい土地で新しい家族との暮らしが始まったのは、三種の神器に代表される消費革命が始まる頃であった。


森の季節、風の色

なにごとのおはしますかは知らねどもかたじけなさに涙こぼるる