出会い

   ~あれから何年経ったのだろうか~


柿紅葉が一枚舞い散って、ふと空を見上げると、昨日のように思い出されるのです。彫金作家である先生との出会いは45年になるでしょうか。日展への招待をいただいて、その作品に感動し、早速お礼に伺ったのがご縁でした。

次々に見せていただいた作品に引き寄せられていると

「好きなら教えますよ。続けるなら教えましょう。続けていれば道になります。」

静かにはっきりと言われたのです。

「何といっても自然がお手本です。自然をよく視ることです。」

それから下駄をはいてお庭に出られ、紅葉した柿の葉がひらひらと舞い散った一枚を手に語られました。

その形と、色、どのようにして 今、ここに、出会えたか、2枚として同じ葉はない、ということも改めて気付かされました。

石や、そこに朽ちた木の小枝、季節の終わりを告げてひそやかに咲いていた野菊の可憐で澄み切った表情も はっきりと思い出されるのです。

陽に輝いていた柿の葉も俄かにかげって、ひんやりとした静かなお庭を渡り 鳥が飛んで行きました。

先生は殆どご自宅でお仕事と読書の日々で、いつ伺ってもかすかな音でチャイコフスキーの曲が流れていました。

高村光雲が美術学校(芸大)の教授であった頃の生徒だった先生は、「上野の小屋」と 目を細めて、学生時代の思い出はつきませんでした。

音楽や芸術についてのお話が弾んでいく中で「すべての根本は哲学です。」と言われたのです。


わたしはあなたに基本的なことは教えましょう。たがねの持ち方、線のほり方、銅板の切り方、金や銀についてなど、作品を作るまでのプロセス、それは教えましょう。

作品を制作するのはあなたです。あなたはあなた自身なのです。わたしはわたし、あなたにはなれない。それぞれがみんなちがうのです。

だから、わたしはあなたに教えることは出来ない。あなたは、あなたの感じ方、あなただけのもの。

好きな色、好きな形、同じ人が二人といないように、みんな一人、一人、違うのです。そこが大切なのです。


そう、しっかりと言われ、如何にそのことが大切であるかということを、今でもはっきりと思うのです。

絵手紙も七宝創作も基本姿勢は全く同じ。「自然が手本であり一人一人みな違う。」

細い細い道ですが 続けてきてよかった。この道はどこまで続くかわかりませんが、この先 未知への好奇心と想像力と 何よりも続けることの出来る時間とすべての出会いに深く感謝せずにはいられません。

                  『つれづれの便り』2011年11月号  ひさ









森の季節、風の色

なにごとのおはしますかは知らねどもかたじけなさに涙こぼるる